OPEN
CLOSE
2017.07.11
宝塚受験クラスは、中学校2年生から高校3年生までの20人ほどのクラスで、バレエ・ジャズダンス・新曲・声楽・タップダンス・日本舞踊のレッスンがありました。土日だけでなく平日もあったので、家が近いスクール生は週4回通っている人もいました。
私は、家が遠いので、月1回のスポット生。学校が休みである第2土曜日曜に、1泊で通っていました。寮はなかったので、スクール指定のホテルに泊まっていて、他の遠方のスクール生と6人部屋でした。愛知や富山、山口など。福岡は、私だけでした。
スクール生になると、先生からあだ名を付けてもらいます。本名は「ゆうこ」ですが、すでに「ゆうこさん、ゆうこちゃん、ゆうさん、ゆうちゃん」がいたため、私は「ゆゆ」になりました。
実は、芸名はここから生まれたのです。この「ゆゆ」に合わせて、字画と憧れていた上級生の本名から考えたのですが、スクールの先生に芸名が決まったことを伝えると、先生も「瞳ゆゆ」という芸名を考えてくれていたそうです。他には「花園ゆゆ」こちらも可愛い名前ですよね。スクールを卒業しても、先生はずっと遠くから見守ってくれていたんですね。もっと甘えておけば良かったです。
スクールでは、基本的にはバレエと声楽のレッスンしか受けませんでした。帰りの新幹線の時間もあったので、遅めの時間にあるタップダンスや日本舞踊のレッスンには出ることができませんでした。
タップダンスや日本舞踊は試験にはありませんし、宝塚音楽学校に合格してから苦労しないようにと組まれているレッスンなので、試験自体には問題ありません。が、私は合格した後に苦労しました。少しでも経験があるだけで、大分違うものだと思います。体験レッスンの時に、受験スクールというものは、「見せ方」を教えてくれるところだと思ったので、とりあえず、バレエという型にはまらず、言われたことをやってみようと思いました。「とりあえずやってみる」という姿勢が宝塚の受験には大事な気がします。
なぜ、「見せ方」を教えてくれるところだと思ったのかというと、こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、スクールに通っているからといって、バレエが特別上手い人ばかりだ!とは思わなかったからです。
宝塚はバレエが上手い人が合格するところではありません。そこに宝塚式の「見せ方」を加えることによって、試験官の目にとまるようになるのです。
具体的に何をやってみたかというと、グランバットマンなど、足をとにかく高く上げたいときに、ちょっとだけ骨盤をずらしてみるなど、バレエではNGなことをやってみました。
実は、受験スクールに通い始めて、地元のバレエ教室に行くのが怖くなった時期があります。一生懸命にやればやるほど、基礎が崩れてきているのではないかと感じたからです。実際には、そんなことはなかったと思うのですが、それくらい地元で習っていたバレエとは違っていて、私の中で葛藤があったということです。
他に教えてもらったことは、とにかく自信をもって笑顔で踊ること。音をいっぱいいっぱいに使って、動きをタメたりメリハリをつけることなどです。
私の通っていた受験スクールでは、毎年何人も合格者を輩出していましたので、時々、本科生や予科生が遊びにきていました。今考えると、本当に豪華なメンバーです。目の前に、同じスクールから合格した人がいると、合格は夢ではない。この中から、必ず合格者が出るのだ。と感じ、一層レッスンに熱が入りました。
受験スクールでは、レギュラーレッスンの他に、夏休みに夏期講習、春休みに直前講習がありました。スクール生以外も参加できるので、遠方の受験生も参加していました。直前講習では、バレエ・声楽・面接の模擬試験があり、試験の結果が貼り出されます。私は2番だったのですが、1番は同期となった瑞羽奏都でした。彼女は新体操を習っていたので、バレエとは違うダイナミックな動きで、スクール内ではかなり目立った存在でした。
当時は、今のように面接重視の試験ではありませんでしたが、面接の試験内容は変わっていません。私も、今の受験生と同じように、決まった事項を読み上げたり、質疑応答の練習をしていました。
定番の「どんな舞台人になりたいですか?」という質問から「宝ジェンヌで誰かに似ていると言われたことはありませんか?」という質問まで。似ているなんて言われたことがなかったので、咄嗟に「花總まりさんです!」と答えました。
想像もしていなかったことを聞かれると動揺してしまいますが、動揺しないように。動揺しても表にでないように、沢山の質問に答える練習をしました。因に「花總まりさんです!」と答えたあと、「白城あやかさんのほうが似ているわよ」と言われました。笑