宝塚の舞台に母と一緒にハマったということもあり、受験の相談は母にしました。父は反対するだろうということで、父には内緒で、学業優先で1回だけ受験することが許されました。
小学校6年生の時点で、受験に必要なバレエも声楽も習っていなかったので、とりあえず、学校の近くのカルチャースクールに週1回通い始めました。遅いスタートの上に週1回のカルチャースクール、、、我ながらマイペースというか危機感のなさに呆れます。ただ、受験に対しての情報が本当になかったので、この時は、これで大丈夫だと思っていました。
しばらくたって、バレエの先生からバレエ教室に移ることを進められます。ここで、私のバレエに対する気持ちに火がつきました。
同じ学年の子たちは既にトゥシューズで踊っており、私は当然ながら、バレエシューズでも付いていくのに精一杯でしたので、まずは基礎をしっかり身につけたいと、幼稚園・小学生低学年クラスからレッスンを受けました。学業優先なので、塾の合間の週2回だけでしたが、1日に、小学生・中学生・高校生クラスと3つ受けたこともありました。
中学校2年生の夏休みに、初めて、バレエの発表会がありました。演目は「ドン・キホーテ」この頃には、レッスンの甲斐あって、トゥシューズでみんなと同じように踊れるようになっていました。
バレエの配役はオーディションで決まるということで、私は、ドン・キホーテの夢の中の場面でソロのある「キューピット」のオーディションを受けました。運が良く合格して「キューピット」を踊ることになったのですが、他のソロの役は高校生のお姉さん方ばかりだったので、それ以来、年が近い子たちから無視されていたそうです。(私は全然覚えていませんが、母が言っていました。笑)
ずば抜けて上手かったら納得するはずなので、上手くなかったのでしょうね。ただ、この踊りのおかげでアチチュードは誰よりも上手くなりました。笑
この頃から、声楽も週1で習い始めました。歌は、学校の音楽の授業でしか歌ったことがなかったので、地元で有名な先生に教えて頂き、メキメキと上達しました。
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