宝塚受験体験記⑨予科生活

予科生となり授業が始まると、試験の各科目の成績でクラス分けがあります。

バレエはA~Dと4つに分かれていて、Aが一番できるクラス。私は、BとCを行き来していました。

新曲は、人数を半分にして、できるクラスとできないクラスに。こちらも私は行き来していましたが、できるクラスに初めて入った時、大変なところにきてしまったと感じるほど、授業内容に差がありました。汗

やはり新曲は、受験時代にできるようになっておいたほうが良いです。音楽学校では、年に2回試験がありますが、バレエやジャズダンスは、点数に差はほとんどありません。差がつくのは、新曲と日本舞踊です。この2つが、総合成績を大きく変えます。

劇団に入れば、一日中音楽が流れているので、いつの間にか音が分かるようになります。ということは、普段から沢山音楽を聞いて、クラシックでなくても、JPOPでも劇団四季でも宝塚の曲でも良いので、譜面をみながら歌う。これを受験時代からしていれば、音楽学校時代に、新曲で苦労はしていなかったかなと思います。

音楽学校に入学して初めて習ったものは、日本舞踊とお琴とタップダンス。
日本舞踊は、藤間流・花柳流・山村流と3つを習います。

今は、お琴の授業は無いようですが、私のときは、ピアノの成績、上から10人と下から10人がピアノ、その他の人が、お琴か三味線を習いました。(各期で分け方は異なります。)
2年間でかなり演奏できるようになりましたが、それ以来一回も演奏していません。

実は、劇団に入って6年目くらいから、日本舞踊を習い始めました。私が花組に入ってから、大劇場で日本物の公演がなく、そろそろくるのではないかという危機感と、今習ったら面白いのではないかという軽い気持ちから始めました。(結局、辞めるまで本格的な日本物はありませんでした。)

特に趣味というものがなかったので、週1回のお休みに通っていましたが、今考えると凄くタフです。踊っているうちに、先生から、三味線の音が分かるようになると、もっと踊れるようになると言われて、その先生から三味線も習い始めました。思ったよりも楽しくて、東京公演の時は、三味線を背負って持って行くくらい。笑

確かに、音が全部聞こえるようになると踊りやすくなるので、音楽学校のときに、お琴も良かったけど三味線を習いたかったなあと。いや、お琴の授業も楽しかったですけどね。

予科生の生活

ここからは、今の予科生の状況とはだいぶ変わっていると思うので、昔話として読んでください。

予科生の一年間は、本当に眠いです。
よく、バレエでグランプリエをして上がってこなかったとか、日本舞踊でお辞儀をしたら、そのまま起き上がってこなかったとか言いますが、あるだろうなと思います。私も、日本舞踊の板の間で待っている時や、声楽で自分の番を待っているとき…というか座っているとき、常に睡魔と戦っていました。

予科生の一日は、朝早く起きて学校を掃除し、一日踊ったり歌ったりして門限ギリギリに帰ってきて、同期と話し合いをして夜12時に解散。(もう何年も前の話なので、今は変わっているかもしれません。)
睡眠時間は5.6時間くらいだったと思います。

1分でも1秒でも多く寝られるようにと、制服を着て寝る人や髪の毛を作って寝る人もいました。私は、早起きが得意だったので、パジャマを着て、髪型はスカーレットで寝ていました。

予科生の休日

予科生の私服は、黒・白・紺・グレーの色の服に三つ折りソックス。一色のワンピースだけというのはダメで、シャツにスカートとかワンピースの下にシャツなど、2ピース以上との決まり。髪型はスカーレットと決まっていました。

お休みは一日しかないので、日曜日は、普段出来ない洗濯や買い物をします。寮に洗濯機はあるのですが、大体みんな「小林駅」のコインランドリーに行って、レオタードなど大量の洗濯物を一回で終わらせます。乾燥も早く終わりますしね。(今は寮も変わったので、洗濯は寮でしていると思います。)

待っている間にパン屋さんで朝ご飯を食べて、スーパーで一週間分の食料を買い込みます。レンジでチンできるものや保存のきくものを買っていました。小林は、よく予科生がいることから、予科の町と呼ばれていました。

両親が会いにきてくれる時は、リラックスしたいので、音楽学校生や劇団生と会わないように、尼崎のホテルまで足を運んでいました。

朝早く起きて、ホテルで朝食を一緒に食べる。でも寝不足なので、いつの間にかベッドで寝てしまっていることも。起きたらすごく後悔します。会える時間は限られているのにって。

外泊は出来ないので、夕飯を食べたらお別れをしなければいけません。楽しいばかりの学校生活ではないので、帰りはいつも号泣でした。

 

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